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<title>西都大宰府の空に</title>
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<description>西都大宰府を中心に文化財、史跡、名勝、研究会等を紹介していきたいと思います。更新ペースは気ままにまったりの予定。</description>
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<title>大宰府　蔵司の現地説明会情報　2009/10/24</title>
<description> 本日、蔵司の現地説明会があるそうです。昔からでかい礎石建物があることはわかっていたのですが、不法占拠に近い形で立ち入りができなかった私有地をここ数年で太宰府市が買い上げたので調査に入れました。本文中にもあるが、今回は測量をきちんとしたというレベルなので今後どうやっていくかが問題でしょうね。残るものをいま掘る必要があるのか？という疑問はつきまといますが…。　太宰府市の県立九州歴史資料館は２１日、同市
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<![CDATA[ 本日、蔵司の現地説明会があるそうです。<br /><br />昔からでかい礎石建物があることはわかっていたのですが、不法占拠に近い形で立ち入りができなかった私有地をここ数年で太宰府市が買い上げたので調査に入れました。<br /><br />本文中にもあるが、今回は測量をきちんとしたというレベルなので今後どうやっていくかが問題でしょうね。残るものをいま掘る必要があるのか？という疑問はつきまといますが…。<br /><br /><br /><blockquote><p>　太宰府市の県立九州歴史資料館は２１日、同市の国指定特別史跡・大宰府政庁跡の西側、蔵司(くらつかさ)地区にある礎石建物跡について、古代の官衙(かんが)（役所）跡としては九州最大級の規模だったことが確認できたと発表した。「大宰府の役割や全体像を把握する上で貴重な資料になる」としている。<br /><br />　礎石群は１９３３年に発見されていたが、私有地だったことから考古学的なデータに乏しかった。近年、公有地化が進み、同資料館の関係機関である大宰府史跡調査研究指導委員会が６月に本格的な測量調査に着手した。その結果、礎石建物跡は南北１３メートル、東西３７メートル（４８１平方メートル）で、大宰府政庁正殿や奈良の正倉院を上回る規模だったことがわかった。これまでに、総数４０基と推定される礎石のうち２３基を確認したという。<br /><br />　地名の由来である蔵司は、九州一円を統括していた大宰府政庁の周りにあった役所の一つ。管下の諸国から集められたコメや綿、絹などの税を収納、管理していたとされ、一部は都に送られていたという。<br /><br />　礎石建物跡については物品を収納していた蔵そのものを指す府庫説のほか、武器庫説などもあるという。<br /><br />　調査は３か年計画で、委員会は近く、発掘調査に入る。<br /><br />　同委員会の笹山晴生委員長（東大名誉教授）は「地名、位置から見て重要な役割を果たしていたはずだ。今後の調査に期待したい」と話した。<br /><br />　２４日午前９時半から、現地で説明会がある。問い合わせは同資料館（０９２・９２３・０４０４）へ。<br />（2009年10月22日  読売新聞）</p><br />太宰府・蔵司の礎石建物跡、正倉院上回る規模 : 福岡のニュース : 地域版 : 九州発 : YOMIURI ONLINE（読売新聞）<br />http://kyushu.yomiuri.co.jp/local/fukuoka/20091022-OYS1T00228.htm<br /></blockquote> ]]>
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<dc:subject>News</dc:subject>
<dc:date>2009-10-24T07:44:30+09:00</dc:date>
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<title>「地元学事始め-太宰府の地元学に期待するもの-」</title>
<description> 財団法人　古都大宰府保存協会主催太宰府市民遺産を考える演題「地元学事始め-太宰府の地元学に期待するもの-」発表者：吉本哲朗氏（地元学ネットワーク主宰）表題の講演会が、3月5日14～16時で、太宰府市の太宰府館で行われた。聴講できたのでその記録を残しておく。感想としてはなかなかおもしろかった。吉本氏のしゃべりは独特のテンポと強弱、そして笑いがあり、観客を飽きさせなかった。地元学という観点で地域を見直すことは
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<![CDATA[ <strong>財団法人　古都大宰府保存協会主催<br />太宰府市民遺産を考える<br />演題「地元学事始め-太宰府の地元学に期待するもの-」<br />発表者：吉本哲朗氏（地元学ネットワーク主宰）</strong><br /><br />表題の講演会が、3月5日14～16時で、太宰府市の太宰府館で行われた。<br />聴講できたのでその記録を残しておく。<br />感想としてはなかなかおもしろかった。吉本氏のしゃべりは独特のテンポと強弱、そして笑いがあり、観客を飽きさせなかった。<br />地元学という観点で地域を見直すことは意義があることだし、なによりもその概念がわかりやすいと思った。<br /><br /><br />要点<br />・地域、それぞれに思想・哲学・美学がないのが問題だ。<br />・水俣で地元学に気づいた。水俣病の患者さんに教えられたことが多い。<br />・地域のことはないものねだりではいけない。足元を見直して自分で調べることで、あるものとあるものを掛け合わせて新しいものをつくるのが地元学。<br />・まず地域の地理・歴史を押さえる。それにより文化が生まれている。<br />・3つの元気（人、自然、経済）と3つの経済（消費経済、共同経済、自給自足）を組み合わせることで地域が生きる。それぞれのバランスが大事。<br />・風景作り。懐かしい日本をつくろうじゃないか。<br />・水俣市頭石（かぐめいし）地区　村丸ごと生活博物館　が良い例になる。http://www.minamatacity.jp/related_group/muramaru_group/index.htm<br />・火に当たって話をすると人々に活気が出る。<br />・肯定から入ること。否定から入らない。<br />・なにごとも40点主義がいい。最初から完璧を目指すと頓挫する。<br /><br /><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=revolutionome-22&o=9&p=8&l=as1&asins=4005006094&md=1X69VDGQCMF7Z30FM082&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&m=amazon&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe><br /> ]]>
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<dc:subject>研究会</dc:subject>
<dc:date>2009-03-05T23:17:34+09:00</dc:date>
<dc:creator>GAKU</dc:creator>
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<title>奇想の図譜</title>
<description> 九州国立博物館で伊藤若冲の展示をしたときに購入した文庫。若冲のことだけではなく、白隠、写楽、北斎のことや日本のデザインの歴史について「奇想」の系譜について書いてある本。ちょこちょこと読んでいたけど先日やっとすべて読了。おもしろいなあと感じたのは、日本の見立ての文化。直接描写することは逆に失礼にあたる場合もある。神事などはあえて仮物をつかうことで、神様は喜ぶのだという概念が一般的だったというのはおも
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<![CDATA[ 九州国立博物館で伊藤若冲の展示をしたときに購入した文庫。<br /><br />若冲のことだけではなく、白隠、写楽、北斎のことや日本のデザインの歴史について「奇想」の系譜について書いてある本。ちょこちょこと読んでいたけど先日やっとすべて読了。<br /><br />おもしろいなあと感じたのは、日本の見立ての文化。直接描写することは逆に失礼にあたる場合もある。神事などはあえて仮物をつかうことで、神様は喜ぶのだという概念が一般的だったというのはおもしろい指摘ではないだろうか。<br /><br />たしかに、弥生時代から造られてきたミニチュア土器のたぐいはまさにそれではないだろうか。あれはその小ささにより、実用品ではないと皆に認識されたからこそ、神前へ捧げられたのだろう。<br /><br />話を若冲に戻すが、九国博で見た若冲の絵はすごく迫力だった。とくにその幻想的なまでのリアリティへのこだわりと画面の構成の巧さは、純粋に驚きだった。<br />僕は、「鳥獣花木図屏風」の迫力とそのユーモアにまいってしまった。枡目描なんて技法が江戸時代からあることにも感じ入った。<br /><br /><table  border="0" cellpadding="5"><tr><td colspan="2"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480089098/revolutionome-22/ref=nosim/" target="_blank">奇想の図譜 (ちくま学芸文庫)</a></td></tr><tr><td valign="top"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480089098/revolutionome-22/ref=nosim/" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51VPWAB18NL._SL160_.jpg" border="0" alt="奇想の図譜 (ちくま学芸文庫)" /></a></td><td valign="top"><font size="-1">辻 惟雄<br /><br />筑摩書房  2005-04<br />売り上げランキング : 65624<br /><br /><strong>おすすめ平均  </strong><img src="http://g-images.amazon.com/images/G/01/detail/stars-3-0.gif" alt="star" /><br /><img src="http://g-images.amazon.com/images/G/01/detail/stars-3-0.gif" alt="star" />フルカラーじゃなきゃだめよ<br /><br /><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480089098/revolutionome-22/ref=nosim/" target="_blank">Amazonで詳しく見る</a></font><font size="-2"> by <a href="http://www.goodpic.com/mt/aws/index.html" >G-Tools</a></font></td></tr></table><br /> ]]>
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<dc:subject>読書</dc:subject>
<dc:date>2008-12-21T22:10:13+09:00</dc:date>
<dc:creator>GAKU</dc:creator>
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<title>「篤姫と山家宿」平成20年度秋期企画展　筑紫野市歴史博物館</title>
<description> 先日、筑紫野市歴史博物館でやっている展示「篤姫と山家宿」を見てきた。目玉は今年のNHK大河ドラマで爆発的に人気がでた篤姫関連だろう。その篤姫一行の記録が宿場町「山家宿」で、旅籠を兼ねていた商家「松尾屋」の「大福万控帳」に記載されていることがわかった。篤姫が江戸に上った１８５３年（嘉永６年）９月２日（新暦10月4日（火曜日））の宿泊者名簿の中に「薩摩御姫様　御登り達」の文字があり、家来７人が泊まったことが
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<![CDATA[ 先日、筑紫野市歴史博物館でやっている展示「篤姫と山家宿」を見てきた。<br /><br />目玉は今年のNHK大河ドラマで爆発的に人気がでた篤姫関連だろう。その篤姫一行の記録が宿場町「山家宿」で、旅籠を兼ねていた商家「松尾屋」の「大福万控帳」に記載されていることがわかった。<br /><br />篤姫が江戸に上った１８５３年（嘉永６年）９月２日（新暦10月4日（火曜日））の宿泊者名簿の中に「薩摩御姫様　御登り達」の文字があり、家来７人が泊まったことが記されている。お供の位により、宿泊料金が異なることもわかる。<br /><br />どうやら、篤姫は別の上級宿に泊まったと考えられるので記録が残っていないようだ。下茶屋（薩摩屋）があやしい。<br /><br />ちなみに、篤姫は同年８月２１日に鹿児島城を出発した。出水、熊本（８月２９日）を通って山家に至り、９月２９日に京都・伏見、１０月２３日に江戸に到着したことが史料で確認できる。<br /><br />展示してある資料のほとんどが1個人のものとのことだ。大変な資料だと思う。<br /><br />関係ないけど、西郷隆盛・高杉晋作・平野國臣の指名手配用の似顔絵はおもしろい。本物なのかがよくわからなかったが。<br /> ]]>
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<dc:subject>博物館・美術館探訪</dc:subject>
<dc:date>2008-12-04T00:50:34+09:00</dc:date>
<dc:creator>GAKU</dc:creator>
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<title>観世音寺寺号碑</title>
<description> 観世音寺寺号碑 posted by (C)gaku_zzr太宰府市観世音寺5丁目　所在観世音寺入口大正3（1914)年4月造立張堂大龍書博多に旅してきた龍禅子（後の大龍）が観世音寺に寄り揮毫した。文字を石に刻んだのは、観世音寺の石工・関要次郎（1892～1951）である。
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<![CDATA[ <a href="http://photozou.jp/photo/show/195815/15284823"><img src="http://art1.photozou.jp/pub/815/195815/photo/15284823.jpg" alt="観世音寺寺号碑" width="338" height="450" style="border:0" /></a><br /><a href="http://photozou.jp/photo/show/195815/15284823">観世音寺寺号碑</a> posted by <a href="http://photozou.jp/mypage/top/195815">(C)gaku_zzr</a><br /><br />太宰府市観世音寺5丁目　所在<br />観世音寺入口<br />大正3（1914)年4月造立<br />張堂大龍書<br /><br />博多に旅してきた龍禅子（後の大龍）が観世音寺に寄り揮毫した。文字を石に刻んだのは、観世音寺の石工・関要次郎（1892～1951）である。 ]]>
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<dc:subject>筑紫の文化財</dc:subject>
<dc:date>2008-11-24T20:27:32+09:00</dc:date>
<dc:creator>GAKU</dc:creator>
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