西都大宰府の空に

西都大宰府を中心に文化財、史跡、名勝、研究会等を紹介していきたいと思います。更新ペースは気ままにまったりの予定。

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太宰府市 朝日地蔵

【名称】:朝日地蔵(あさひじぞう)別名は、湛慧禅師ノ塔、旭地蔵。
【所在地】:福岡県太宰府市観世音寺5丁目1950
【時代】:はっきりとしないが創建は江戸時代か。
【内容】:横岳崇福寺を創建した禅僧湛慧の墓と呼ばれている。由来としては以下のような話が伝えられている。

「鎌倉時代、観世音寺にも鬼すべの行事があったころの話である。

観世音寺の1月7日の鬼すべでは、その日寺のそばを通る人を捕まえて、頭に鬼の面をかぶせ、彩色の服を着せて鬼として、皆で打ったり叩いたりした。それを恐れて当日は道を通る人もない有様で、何も知らずに通りがかった旅人などが、捕まって鬼にされたりした。

ある年の鬼すべの日、湛慧はたまたま観世音寺の近くを通りかかった。お供の弟子は捕まったら大変だからと、別の道を行くことをすすめた。湛慧はまさか僧を捕まえることはあるまいと観世音寺の前まで来たところ、弟子が心配していたとおり、捕まって鬼にされ散々な目にあった。
思いもかけぬ辱めを受けた湛慧は憤慨のあまり、朝日山の東側に穴を掘ってその中に籠もってしまった。穴の中から読経の声と鉦の音が何日も続いていたが、ある日それが聞こえなくなった。中を覗いてみると、湛慧は座ったまま息絶えていた。

土地の人々は亡骸を手厚く葬って供養し、後にここに地蔵を祀ったのが朝日地蔵ということです。」


現在では地域の方に手厚く保護されているのが特徴。
祭日は毎月4・14・24日、夏祭り7月13日夕方、春彼岸・秋彼岸千人詣。
朝日地蔵正面

朝日地蔵(斜めから)
内部の石碑など
お参りをする人が絶えない


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テーマ:史跡 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2007/09/23(日) 16:24:21|
  2. 筑紫の文化財
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大山と宝満山と岩船地蔵

先のエントリで紹介した岩船地蔵の本だが、途中身近に感じた記載があったので、メモがわりに載せておきたい。テキストの78ページに取り上げられている。

地蔵菩薩霊験記』巻九「一二 生身地蔵ヲ拝ス事」
 伯耆国大山に弘誓房明願という僧がいた。仏法の修行に励み、前々から地蔵を篤く信仰し、ついに生身の地蔵を拝したいものだと願うようになった。ある人が言うには、筑紫国竈戸山の宝満大菩薩は地蔵がこの世に仮の姿で現れているので、毎月二四日と一八日の明け方には地蔵が現れて衆生を救ってくれるという。そこで、弘誓房は竈戸山に参籠し、一生懸命祈った。すると夢に気高い女性が現れ、生身の地蔵を拝みたいのであれば、下野国岩船山という所があり、そこへ行けば地蔵菩薩が出現すると述べた。(以下略)


ここで注目されるのは鳥取県大山と福岡県宝満山の密接なつながりだろう。
大山の僧が生身の地蔵を探し求めて、最終的には岩船山でそれに出会うという筋で、原型となった話自体は11世紀中頃には成立している可能性が指摘されている。広く流布されたのは江戸時代前半~中頃に刊行された書籍による。

つまり、古い段階からの大山宝満山の密接な関係性が指摘できるお話だといえる。


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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2007/09/15(土) 00:18:44|
  2. 雑考
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歴史探索の手法 -岩船地蔵を追って-

この本は示唆に富む点でおもしろい。歴史のおもしろさと、歴史を学ぶおもしろさを同時に教えてくれる好著といえるだろう。

著者は1979年に神奈川県大和市で船に乗っているという珍しい形の地蔵(岩船地蔵)に出会った。興味を惹かれた筆者は以後ことあるたびに、この地蔵を調べていき27年を経て本という形で調査成果を公表することになった。四半世紀に及ぶ研究と聞くと、それだけ地道な作業であることがわかる。もちろん、作者には他にメインテーマがあり、調査の折についでに調べていったのだが、それにしても根気のいる作業である。

本書のメインテーマは、「1719(享保4)年に関東を中心に大流行した岩船地蔵とは何か」である。もちろん現在の僕たちが路傍の石仏に対して、多くの人たちがそのまま素通りしていくだろう。そこをあえて立ち止まり、自分が感じた疑問を掘り下げていくことは、まるで推理小説を読んでいるかのように興奮してくる。

センスオブワンダーという言葉がある。人は不思議なことに興味を覚え、それを解明していくことに言いしれる感動を覚えるのだ。江戸時代に起こった岩船地蔵というムーブメントがどのように起こり、そして現在につながっているのかはまさしくセンスオブワンダーだろう。
元々、著者の福田アジオ氏は民俗学の研究者であり、いわば石仏の歴史などは門外漢だったはずだ。しかし、大きく歴史の興味という点では同一である。その点でどうやってこの不思議にアプローチしていくかは参考になる点が多い。

もちろん、不満点もある。肝心な点についてはまさしく歴史の暗闇からでていない点が指摘できるが、ただしこれもまた今後の研究の1つの礎になるのだから意味あることだろう。
専門的になるが、石仏に刻まれた年代のみで分析しているが、もっと石材の種類とか地蔵の形態分析、技術手法からも分析できなかったのか、という不満があるがそれは望みすぎだろう。これについては考古学からのアプローチが望まれる。

福田アジオ氏の言葉で下記の言葉が印象深く残った。


過去に起こった出来事がすべて分かっていて、歴史の組み立てに活用されているかというと、そうではない。過去に起こったことは、時間の経過のなかでたちまちに曖昧になり、不明になる。出来事を体験・経験・見聞した人々がこの世からいなくなるとたちまち生起した事実も過去の暗闇に入っていってしまう。



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  1. 2007/09/09(日) 14:40:44|
  2. 読書
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太宰府天満宮 和魂漢才碑

【名称】:和魂漢才碑(わこんかんさいひ)
【所在地】:福岡県太宰府市宰府4丁目7-1
【時代】:江戸時代(安政5(1858)年)
【内容】:「和魂漢才」とは、漢学に精通しつつも、日本の精神を失わないようにという目的を表した四文字。その言葉が、菅原道真の学識と教学を的確に表していることから各地の天満宮で建てられていることが多い。明治維新の後には、これをもじって「和魂洋才」という言葉も生まれた。
 この碑は、安政5(1858)年に、菅原為定の書で西高辻信金を中心として、平田鉄胤他多くの学者や志士により建碑されたものである。
石碑全景

石碑近景

和魂漢才の語
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テーマ:史跡 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2007/09/04(火) 12:06:07|
  2. 筑紫の文化財
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【山口県】勝栄寺の土塁及び旧境内

2006年9月10日に土器研の二日目に出席する代わりに有志と一緒に訪れた。当日はあいにくの小雨模様だったが、なんとか当初の予定の史跡を巡検して回ることができた。ここもその1つだ。
勝栄寺


さて、この勝栄寺の土塁は、中世段階のものがそのまま現在まで現状をとどめているという点から大変貴重なものだ。たいがいの土塁は近隣の開発により今では跡形もなくなっているケースがあまりにも多い。寺院を土塁で囲うという戦乱期の中世ならでは遺構であり、当時の社会情勢を表すものとして実感できる。現在は土塁部分しかみれないが、本来はこれに3m以上の濠が付随していることを考えると十分な防御力を持っていたと想像できる。
土塁の様子

土塁断面

濠部分の模式舗装

土塁見取り図



現在は、山口県の県指定史跡として、保存整備をしているので、お近くに寄られた際は是非みていただきたい史跡である。

勝栄寺土塁及び旧境内(しょうえいじどるいおよびきゅうけいだい)
【所在地】:山口県周南市中央町
【時代】:中世(南北朝)
【指定の有無】:有 山口県県指定文化財(史跡)1987(昭和62)年3月27日
【内容】:勝栄寺は、陶弘政を開基とする時宗寺院(現在は浄土宗)です。創建されたのは、陶氏が富田保へ移住して間もない時期(1350~80年)と考えられています。
 この時代の時宗は、布教と併せて北朝方の動静をさぐり、南朝方の連絡をすることにあったとみられており、富田保が大内惣領家の橋頭堡的位置を占めていたことからして、勝栄寺の政治的・軍事的性格は強まらざるを得ませんでした。
 勝栄寺は、江戸時代の「防長寺社由来」絵図に土塁と濠が描かれており、土塁の北・西部は今日まで残存し、濠も近年まで蓮田としてその面影をとどめていました。
 南北朝動乱期の陶氏が置かれた厳しい立場からみて、この時期に防御施設として、土塁や環濠が設けられたのではないかと考えられています。
 繁栄した中世の富田保や富田津の歴史だけでなく、めまぐるしい動きをみせた中世防長史の舞台として、現存する数少ない貴重な史跡です。
http://www.city.shunan.lg.jp/kakuka/kyoiku/ed-shogai/bunkazai/syoueiji.jsp

 

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  1. 2007/09/02(日) 22:41:05|
  2. 史跡名勝巡り
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『古代文化』の購読

『古代文化』59巻1号

財団法人古代学協会が出してる雑誌に『古代文化』というものがある。近年、母体である団体のトラブルで発刊が滞っていたが、昨年度から体制を立て直して、今年から新体制で刊行していくことになったようだ。以前は月刊12冊だったが今後は季刊として年4冊(8000円)刊行されていくとのこと。

実は前から興味があり定期購読をしたいなあと思っていたのだが、山田邦和先生のblogを読んでいると、さきほどの新体制での発刊の話が掲載されていたので渡りに船というわけで入会を申し込んだ。
なんと、入会特典として過去の古代文化を51巻1号~57巻12号(53-6,54-5・11・10、55-2・3・7、56-1・11は欠号)の合計76冊がついてくるという豪華おまけ付きである。(着払いのため送料は負担する必要あり。当たり前だが。)これは凄いと思う。
ちなみに僕が京都にいた学生時代に京都文化博物館には、資料整理の関係や文献収集でお世話になっており、その少しばかりの恩返しのつもりだ。

さて、本一式が今朝届いたのだが、さすがに段ボール1ケースにみっちり詰まっていた。画像参考のこと。(住所を間違えていたのはご愛敬)
特典雑誌


『古代文化』の魅力は、掲載されてる論文のその学問的守備範囲の広さにあると思う。おおざっぱに分類すれば歴史学を扱った雑誌なのだが、文献史学も考古学も美術史もおおらかに内包してしまうその懐の深さは、京都の重鎮であられる角田文衛先生のご人徳なのだろう。

さて、自分もちゃんと研究を進めて、いつかこの雑誌に載るような論文を書いてみたいと思う。

テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2007/09/01(土) 14:34:34|
  2. 読書
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高橋 学

Author:高橋 学
筑紫の地ではや15年。月日は百代の過客。

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