西都大宰府の空に

西都大宰府を中心に文化財、史跡、名勝、研究会等を紹介していきたいと思います。更新ペースは気ままにまったりの予定。

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天下之一都会

古代大宰府が繁栄していたことを称して、「遠の朝廷」とか「天下之一都会」と呼ばれていたことがよく引用される。この場合の大宰府とは当然、政庁域とともに生活空間であった条坊跡を含めてのことだと考えていい。

この「天下一之都会」という文言は、『続日本紀』神護景雲三年(七六九)十月甲辰に納められた大宰府の言上のなかから引かれている。


「大宰府言。此府人物殷繁。天下之一都会也。子弟之徒。学者稍衆。而府庫但蓄五経。未有三史正本。渉猟之人。其道不広。伏乞。列代諸史。各給一本。伝習管内。以興学業。詔賜史記。漢書。後漢書。三国志。晋書各一部。」


書き下しは以下の通り。

「神護景雲三(769)年10月10日 大宰府は天下一の都会であるものの、府庫には五経しかなく三史がないため、これらを賜らんことを言上する。この日、詔して史記、漢書、後漢書、三国志、晋書各一部を大宰府に給う。

ややこしいのだが、大宰府言とあるのは大宰府の某が自分のところを指しているのか、そういわれている客観的な情報を言ったのかはよくわからないところにある。本来はこの「言」の前に誰が言ったかの記載があったら、文章として完結しているもの(下文)になるのだが、それがないためどちらといえない。しかしながら、もし大宰府の某氏が言ったことにしても、そのまま続日本紀に掲載されていることから、問題ない表現(=古代表現ではない)と言えるのではないかと考えられる。(太宰府市史資料室の重松氏ご教示)


よって、当時の大宰府の様子を「天下之一都会」と称せられたといっても間違いではないという結論になろう。

倉住靖彦 1985『古代の大宰府』吉川弘文館 p200にこれに触れている記載あり。自賛で誇張されているきらいはあるが、問題ないだろうという文意。

参考資料
大宰府古代史年表―付官人補任表
大宰府古代史年表―付官人補任表重松 敏彦

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  1. 2008/08/27(水) 22:07:29|
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