西都大宰府の空に

西都大宰府を中心に文化財、史跡、名勝、研究会等を紹介していきたいと思います。更新ペースは気ままにまったりの予定。

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【山口県】勝栄寺の土塁及び旧境内

2006年9月10日に土器研の二日目に出席する代わりに有志と一緒に訪れた。当日はあいにくの小雨模様だったが、なんとか当初の予定の史跡を巡検して回ることができた。ここもその1つだ。
勝栄寺


さて、この勝栄寺の土塁は、中世段階のものがそのまま現在まで現状をとどめているという点から大変貴重なものだ。たいがいの土塁は近隣の開発により今では跡形もなくなっているケースがあまりにも多い。寺院を土塁で囲うという戦乱期の中世ならでは遺構であり、当時の社会情勢を表すものとして実感できる。現在は土塁部分しかみれないが、本来はこれに3m以上の濠が付随していることを考えると十分な防御力を持っていたと想像できる。
土塁の様子

土塁断面

濠部分の模式舗装

土塁見取り図



現在は、山口県の県指定史跡として、保存整備をしているので、お近くに寄られた際は是非みていただきたい史跡である。

勝栄寺土塁及び旧境内(しょうえいじどるいおよびきゅうけいだい)
【所在地】:山口県周南市中央町
【時代】:中世(南北朝)
【指定の有無】:有 山口県県指定文化財(史跡)1987(昭和62)年3月27日
【内容】:勝栄寺は、陶弘政を開基とする時宗寺院(現在は浄土宗)です。創建されたのは、陶氏が富田保へ移住して間もない時期(1350~80年)と考えられています。
 この時代の時宗は、布教と併せて北朝方の動静をさぐり、南朝方の連絡をすることにあったとみられており、富田保が大内惣領家の橋頭堡的位置を占めていたことからして、勝栄寺の政治的・軍事的性格は強まらざるを得ませんでした。
 勝栄寺は、江戸時代の「防長寺社由来」絵図に土塁と濠が描かれており、土塁の北・西部は今日まで残存し、濠も近年まで蓮田としてその面影をとどめていました。
 南北朝動乱期の陶氏が置かれた厳しい立場からみて、この時期に防御施設として、土塁や環濠が設けられたのではないかと考えられています。
 繁栄した中世の富田保や富田津の歴史だけでなく、めまぐるしい動きをみせた中世防長史の舞台として、現存する数少ない貴重な史跡です。
http://www.city.shunan.lg.jp/kakuka/kyoiku/ed-shogai/bunkazai/syoueiji.jsp

 
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テーマ:史跡 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2007/09/02(日) 22:41:05|
  2. 史跡名勝巡り
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